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家族

声が聴きたい

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声が聴きたいんだ。私には母親がいない...

私を産んですぐ事故で死んでしまったらしい...

産まれた時から耳が聞こえなかった私は物心ついた時にはもう既に簡単な手話を使っていた...

耳が聞こえない事で私は随分苦労した...

普通の学校には行けず障害者用の学校で学童期を過ごしたのだが片親だった事もあってか近所の子どもに馬鹿にされた...

耳が聞こえないから何を言われたのかは覚えていない(と言うか知らない)があの見下すような…馬鹿にしたような顔は今も忘れられない...

その時は自分がなぜこんな目に遭うのか解らなかった...

しかしやがて障害者であるという事がその理由だと解ると私は塞ぎ込み思春期の多くを家の中で過ごした...

自分に何の非も無く不幸にな目に遭うのが悔しくて仕方が無かった...

だから私は父親を憎んだ...

そして死んだ母親すら憎んだ...

なぜこんな身体に産んだのか...

なぜ普通の人生を私にくれなかったのか...

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手話では到底表し切れない想いを暴力に変えて叫んだ...

時折爆発する私の気持ちを前に父は抵抗せずただただ涙を流し

「すまない」

と手話で言い続けていた...

その時の私は何もやる気が起きず荒んだ生活をしていたと思う...

そんな生活の中での唯一の理解者が私の主治医だった...

私が産まれた後耳が聞こえないと判った時からずっと診てくれた先生だ...

私にとってはもう一人の親だった...

何度も悩み相談に乗ってくれた...

私が父親を傷つけてしまった時も優しい目で何も言わず聞いてくれた...

仕方が無いともそういう時もあるともそんな事をしては駄目だとも言わず咎める事も慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった...

そんなある日どうしようもなく傷つく事があって泣いても泣き切れない悔しくてどうしようもない出来事があった...

内容は書けないが私はまた先生の所へ行って相談した...

長い愚痴のような相談の途中多分

「死にたい」

という事を手話で表した時だと思う...

先生は急に怒り出し私の頬を思い切り殴った...

私はびっくりしたが先生の方を向くと更に驚いた...

先生は泣いていた...

そして私を殴ったその震える手で静かに話し始めた...

ある日私の父親が赤ん坊の私を抱えて先生の所へやって来た事...

検査結果は最悪で私の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えた事...

私の父親が凄い剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきた事...

そして次の言葉は私に衝撃を与えた...

「君は不思議に思わなかったのかい...

君が物心ついた時にはもう手話を使えていた事を」

確かにそうだった...

私は特別に手話を習った覚えはない...じゃあなぜ…...

「君の父親は僕にこう言ったんだ...

『声と同じように僕が手話を使えばこの子は普通の生活を送れますか』

驚いたよ...

確かにそうすればその子は声と同じように手話を使えるようになるだろう...

小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る...

だが声と同じように手話が使えるのならもしかしたら…...

でもそれは決して簡単な事じゃない...

その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない...

健常者が手話を普通の会話並みに使えるようになるには数年かかる...

全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしてもとても間に合わない...

不可能だ...僕はそう伝えた...

その無謀な挑戦の結果は君が一番よく知っているはずだ...

君の父親はね何よりも君の幸せを願っているんだよ...

だから死にたいなんて言っちゃ駄目だ」

聞きながら涙が止まらなかった...

親父はその時していた仕事を捨てて私のために手話を勉強したのだ...

私はそんな事は知らずに大した収入も無い父親を馬鹿にした事もある...

私が間違っていた...

親父は誰よりも私の苦しみを知っていた...

誰よりも私の悲しみを知っていた...

そして誰よりも私の幸せを願っていた...

濡れる頬を拭う事もせず私は泣き続けた...

そして親父に暴力を振るった自分自身を憎んだ...

なんて馬鹿な事をしたのだろう...あの人は私の親なのだ...

耳が聞こえない事に負けたくない...

親父が負けなかったように...

幸せになろう...そう心に決めた...

現在私は手話を教える仕事をしている...

そして春には結婚も決まった...

私の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ...

親父に紹介すると

「お母さんに報告しなきゃなって・・・・」

と言って親父は笑ったんだ...

でも遺影に向かい線香をあげる親父の肩は震えていた...

そして遺影を見たまま話し始めた...

私の障害は先天的なものではなく事故によるものだったらしい...

私を連れて歩いていた両親に居眠り運転の車が突っ込んだそうだ...

運良く親父は軽症で済んだがお母さんと私は酷い状態だった...

私は何とか一命を取り留めたがお母さんは回復せず死んでしまったらしい...

お母さんは死ぬ間際親父に遺言を残した...

「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」

親父は強く頷いて約束した...

でも暫くして私に異常が見つかった...

「焦ったよ...お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって...約束を守れないんじゃないかってなぁ...

でもこれでようやく約束…果たせたかなぁ...なぁ…お母さん」

最後は手話ではなく上を向きながら呟くように語っていた...

でも私には何と言っているのか伝わって来た...

私は泣きながら親父に向かって手話ではなく声で言った...

「ありがとうございました!」

私は耳が聞こえないからちゃんと言えたか分からない...

でも親父は肩を大きく揺らしながら何度も頷いていた...

親父天国のお母さんそして先生...

ありがとう...私いま幸せだよ...

本当に私を産んできてくれてありがとう。

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本当に泣ける話を集めてみました・・・。


母さんからの最後のアドバイス
お母さんから




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