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競馬の感動話 アドマイヤコジーンと後藤騎手との泣ける話

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競馬の感動話 アドマイヤコジーンと後藤騎手との泣ける話です。
競馬にまつわる泣ける話になります。昔にもこんなに素晴らしい騎手、競走馬がいたのを知ってほしいです。1998年の朝日杯3歳S(G1)02年の安田記念(G1)などを制したアドマイヤコジーンが死去したと伝えられた...

アドマイヤコジーンは父コジーン母アドマイヤマカディ母の父ノーザンテーストという血統を持つ...現役引退後は種牡馬としても活躍しており06年の新種牡馬サイアーランキング1位にも輝いている...だが15年シーズン半ばにも関わらず生殖能力の低下を理由に種牡馬からも引退...その後北海道の日高町門別のクラウン日高牧場で繋養されていた...

98年にデビューしたアドマイヤコジーンはデビュー戦こそ敗れたものの次走東京スポーツ杯3歳S(G3)朝日杯3歳S(G1)で3連勝を飾る...この年のJRA賞最優秀3歳牡馬(現在JRA賞最優秀2歳牡馬)にも輝きクラシックでの活躍も期待されていた...しかし翌年1月に右トモを骨折そして復帰を目前にして今度は逆の脚を骨折してしまい長期間ターフから離れることを余儀なくされてしまう...

それから1年7カ月後の2000年7月アドマイヤコジーンは復帰を果たす...だがかつての走りは鳴りを潜め12戦するも【0.1.1.10】という長きスランプの期間に突入...この結果に当時のファンは落胆し「終わった馬か......」と考えたファンも多かったに違いない...だが02年にある騎手との"再会"したことでアドマイヤコジーンの運命が一変する...その人こそ2015年に突然の最期を遂げ多くの騎手仲間たちから惜しまれた故・後藤浩輝騎手だった...

それまでに後藤騎手はアドマイヤコジーンへの騎乗経験はあった...だが2度の騎乗機会でそれぞれ11着8着と期待された結果を残せずに終わりその後1年以上騎乗することはなかった...その間アドマイヤコジーンは惨敗を繰り返しあまつさえ主戦場ではないダートにまで挑戦するなど迷走を重ねている...

「骨折があっても引退は考えなかった」と後に橋田満調教師は語っている...2歳のときにしか勝てず早熟と言われることがアドマイヤコジーンの名誉を傷つけるとして何度負けても勝利をもぎ取るべく苦慮していた...そして陣営は藁にもすがる思いで再度アドマイヤコジーンの鞍上として後藤騎手に白羽の矢を立てることにしたのだ...終わったと思われていた世間のその評価を覆すため悩み続けた陣営が出したこの決断はこれ以上ない成功をもたらすことになった...

後藤騎手を背にしたアドマイヤコジーンはこれまでの不調がウソだったかのように02年の東京新聞杯(G3)では積極的に逃げ馬に並びかけて先行する競馬を見せ快勝...レース後後藤騎手は勝利インタビューに「神風」と書かれた手ぬぐいを額に巻き登場して大きな話題を呼んだ...
その後このコンビは阪急杯(G3)も2着のダンツキャストに3と1/2馬身差を付けての圧勝を飾る...次走の高松宮記念(G1)では藤田伸二騎手が騎乗するショウナンカンプの前に涙を飲むも2着に入線...ここまでの走りで完全復活をファンに印象づけていた...

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そしてアドマイヤコジーンと後藤騎手はその年の安田記念に登場する...レースはその年のクイーンエリザベスC(G1)を制したエイシンプレストン前年の日本ダービー(G1)2着馬ダンツフレームなどが顔を揃えアドマイヤコジーンは7番人気と主役級の評価を受けていたとは言いがたかった...

18頭立てで18番の大外枠に入ったアドマイヤコジーンは復活後に見せたレース直後から果敢に先頭をうかがう競馬を展開...そして4コーナーから直線に入ると早くも先頭へと進出した...早すぎる仕掛けに東京競馬場からは悲鳴に似た歓声が上がる...トップに立ったアドマイヤコジーンはダンツフレームミレニアムバイオなどから追い上げられる...だがそのままハナを譲ることなくアドマイヤコジーンはトップでゴール板を駆け抜けた...騎乗していた後藤騎手は大きく右手を天に掲げアドマイヤコジーンの3年6カ月ぶりのG1制覇また自身にとって11年目54戦目での悲願の中央G1初制覇の喜びを全身で表現した...

レース後のインタビューで後藤騎手は「ありがとうございます...こみ上げるものがあります」と泣きながら語り「とにかくやっぱりこの馬がね...その力があるところを証明してくれたというのとスタッフの我慢のおかげだと思います」と相棒また同馬を支えたスタッフたちのこれまでの苦労をねぎらう言葉を絞り出していた...

勝利後アドマイヤコジーンはスプリンターズS(G1)マイルチャンピオンS(G1)へ向かうもそれぞれ2着と7着に終わる...マイルチャンピオンS後は後藤騎手とのコンビを解消...その後武豊騎手を背に乗せて香港マイル(G1)へ挑戦するも4着に終わった...これがアドマイヤコジーンの最期のレースだった...

早熟にして晩成の馬としても知られているアドマイヤコジーンとそれを支えた後藤騎手...ふたりは遠い地で久方ぶりの再開を果たし何を思うのだろうか?????
とりわけ切ない訃報だった...

本当に悲しくて切ない話になります・・・。

今も後藤騎手がいれば・・・

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