犬泣ける話

私が7才になる年、母から「今年のプレゼントは何が欲しい?」そう聞かれて、迷わずワンちゃん!と答えました。

私の誕生日、忘れもしない1998年12月25日。私たち家族は、ブリーダーさんから新しい家族をもらいました。

ラブラドール・レトリーバーのラブちゃんです。右耳が半分しか垂れてなく、左足がもともと少しだけ悪くて引き取り手がなかったそうです。

でもそんなラブを私と弟が、この子じゃないととタダをこねました。
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それからというもの、ラブがやんちゃで、寂しがり屋で、家族のことが大好きだよと言う気持ちが毎日毎日ひしひしと伝わってきました。

ラブが11歳になり、病院に行ったとき嘔吐、失禁と体が硬直して動けなくなり、点滴をしたという事件がありました。

普段疲れたよと言ったことのない子が、そんな風になるだなんて思ってもみませんでした。

10歳を越えたあたりから、老化が目に見えてきており獣医さんからいつ亡くなってもおかしくないと言われてました。

そんなラブも13歳となり、今年の夏は去年よりも暑いからラブちゃん越せるかな?っと家族で話していました。

ラブもだいぶ寝ている時間が増えてました。しかし、家族が帰ってくるといつもの元気なラブに戻るんです。

今思えば、力を振り絞って、私は元気だよ。まだ逝かないよ。ってみんなに伝えてたのかもしれません。

ラブが亡くなる前日の夜、最後に起きていたのは学校のレポートのためリビングにいた私でした。その日の夜だけ、外からラブの物音が聞こえなかったので、小屋で大人しく寝てるんだって思ってました。数時間前、ラブとたわむれ、遊んだことが最後だと思ってもみませんでした。

2012年7月24日早朝。父がラブにご飯をあげに行ったとき、小屋で亡くなってるのを発見しました。私は学校への通学途中で、父からの電話に出てその事実を知りました。私は電車の中でしたが、何度も何度も聞き返し嘘だと思いました。

学校から帰宅すると、玄関に棺がありました。父がその中にラブがいるよと。恐る恐る開けると、体が冷たくなった私の妹がそこにいました。

最後に起きていたのは私なのに気づいてあげれなくてごめんねと、ずっと一緒にいると約束のにっと涙を流しました。

ラブは17年前家に来たときも、火葬して骨壷に入って戻ってきたときも、ラブを抱いたのは私でした。

今でもラブは家にいます。体はないけど、家族の中ではラブの死から3年経ちましたが、話は絶えません。

今までありがとうと、私と弟と一緒に成長してくれたことに感謝をしています。

大好きな、大好きな妹のラブ。

あなたがいなければ、私は今看護師として働いていないでしょう。

また次に会えることを楽しみに待ってます。
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