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泣ける話

何でもなかった日

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毎年恒例の家族旅行が最後になったのはいつかな。俺が反抗期入ってすっぽかした頃からか……。
今、こうやって行きたいと思ってても、もう叶わねぇしな。
旅行の前の日なんか楽しかったな、みんなオシャレしてさ。浴衣の帯がほどけるまで、家族みんなで卓球してたな。
過去は眩しいな……。
小学校の頃、学校の調理実習で習った卵焼きを、自慢したくて家で作った。
あの頃の台所はすごく大きく感じた。母は僕の隣でニコニコと、時折不安げに僕のことを見ていた。
出来上がったのは、すごくしょっぱい卵焼き。
父に食べさせたら「うまい、うまい」と全部食べてくれた。
中学三年の卒業式。最後のホームルームも終わって帰ろうとした。
みんなが「これから遊びに行くんだけど、〇〇君もきなよ」と言ってくれた。
初めてみんなと遊んだ。泣き出しそうなくらい嬉しくて楽しかった。
中学の時に友達と朝日を見に行った。前日、友達の母さんから市内で一番見晴らしのいい場所を教えてもらった。
その日に友達の家に泊まり、4人でずっとゲームをやって朝を待った。
夜中の3時ぐらいに家を出た。真夏だから日が昇るのが早い。急いで自転車をこいだ。
4時ごろにその場所についた。辺りは少しずつだが明るくなってきている。
だがいくら明るくなっても太陽は見えなかった。林が邪魔になってて見えなかったからである。
このままじゃ駄目だと思って木に登った。そうすると太陽が昇り始めるとこだった。
木の上から見た景色はすごかった。市内全てが朝靄に包まれていた。そこを太陽が照らして、世界が真っ白に見えた。
初恋をしたのが高校一年だった。それは今までの好きとは違ってて、恋そのものだった。
1日の生きてる価値なんて、その子を見れるほんの10秒程度。毎日が幸福と落胆の繰り返しだった。
その子を想い続け、その子を中心に俺の世界は2年回った。
色々な運命のイタズラで文通まで出来るようになった。毎日が幸せで、まさにバラ色の日々だった。
けれどまた、色々な運命のイタズラで、その先に進めなくなった。
あの頃、もっと恥ずかしがらずに自分の思うように想いを伝えていたら、きっと未来は違っていただろう。
運命なんて言葉で、ごまかさずにすんだのにな。
思い出すだけで、胸の奥が締め付けられる気持ちになる。
小学1年のときか。虐められて、泣きながら家に帰った。
お母さんは目を潤ませながら「あなたは強い子よ」と抱きしめてくれた。
次の日、俺はいじめっ子と殴り合いの喧嘩をした。5対1だったけど、2人泣かした。
お母さんに報告したら、お母さんは泣きながら俺の頬を叩いた。
強いって、そういうことじゃない。そういうことじゃないんだ。
子供の頃は、日曜日が好きだった。
ゆっくり流れる時間が好きだった。
一人で小川に出かけ、ささやかな水の流れを見るのが好きだった。
閑散とした公園のベンチに座り、草木を揺らす綺麗な空気の中で、晴れ渡った空を見上げるのが好きだった。
もうあの頃の心は取り戻せない。
正月とかお盆とかに母ちゃんの実家に毎年一週間位泊まってた。
親戚のお兄ちゃん二人と兄貴、従弟二人、六人で朝から晩まで寝る時まで一緒。
釣り、凧上げ、ファミコン、トランプ、何をやっても楽しかったし、何処に行くにも一緒で、「金魚の糞みたいだった」って今でも親に言われる。
だけど皆成長して大人になり、会わなくなった。
久しぶりに会えたと思ったら、じいちゃんの葬式だった。皆に会えたのは嬉しかったけど、「こんな機会じゃないと会えないのかな?」って言った、お兄ちゃんの言葉に皆泣いた。
俺が二十歳の誕生日を迎えて、何日か経った後、父親とキャッチボールした。
父親とキャッチボールするのは小学生の時以来だ。
その時会話は、ほとんどなかった。けどすごく心地よかった。
【心のキャッチボール】ってあるんだなぁ、としみじみ思った。
子供のころ、虐められて泣きながら帰ると母さんもよく泣いてたっけ。
「いじめた子の名前をいいなさい。」って怒鳴られたときもあったなあ。
でもよく言われた台詞がコレ。「お母さんはいつでもあなたの味方よ」
大人になった今、考えるとすごい言葉だよな。それだけで安心できたし、俺なんかにも味方がいるんだって思えた。

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ずっとニートだった俺が就職して、一人暮らし始めて半年経つ昨日。実家から荷物が届いた。
中には俺の好きなお菓子とか、米とか、家でとれた野菜とか入ってた。
母さん、しわしわの手で野菜とったんだろうなぁ。俺の好きなお菓子、覚えてるなんて思わなかった。
手紙も入ってた。祖父の病気の具合とか、弟夫婦とご飯食べに行ったとか、達筆な字で書いてあった。
最後に「いつでも味方だから」って。嬉しくて涙ボロボロだしちゃったよ。
俺、まだまだ甘えてるなぁ。今の俺に出来る精一杯の感謝することに決めたよ。
旅行でもプレゼントします。母さん、どこがいいかなぁ?
子どもの頃を思い返せば、あんなに親しかった友人たちが、今はもう遠くに行ってしまって連絡がとれなくなったりしてる。
そういえばあんなこともあったな……。
5時半になったら家に帰る約束だったのに、あまりにも遊びに熱中して、ついつい夕日に追われるように帰る。
案の定、鍵を閉められてる。
「こんなに遅く帰って。どこの子ですか?」冷たく言い放たれて、またやってしまったと後悔する。
「母ちゃん、ごめんなさい」俺が泣き出しそうになると「明日は約束守るな?」と約束させられる。
家に入るとシチューの匂い。兄ちゃんと弟がもう食べ始めている。
口をほくほく食べているうちに、もう母との約束の事を忘れかけている。そんな一日一日が独立した毎日だった。
毎日怒られてたけど、それでも布団に入ると明日になるのが待ち遠しかった。
━…もう帰らない。あの何でもなかった日。

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