この話は大好きなおじいちゃんの泣ける話になります。
私が小学1年生の時に事故で両親が死にそれ以来おじいちゃんと2人で暮らしていたんです。
おじいちゃんは料理などできなかったけれど私のために毎日質素ながらご飯を作ってくれた。
ご飯と納豆とかご飯と缶詰めとか。
そして食卓にはいつもカマボコが2~3切れ置いてあったんだ。
カマボコは必ず毎日食卓にあった。私はカマボコがおじいちゃんの好物だと思っていた。
中学生になり私が食事の用意をするようになっても必ずカマボコを2~3切れ食卓に出し続けた。
4年前おじいちゃんが亡くなった時霊前にカマボコを供えた。おじいちゃんの好物だと思っていたから。叔母さん(父の姉、おじいちゃんの長女)に「おじいちゃんカマボコ大好きだったから…」
と言うと「違うんだよ」と言われた。
「違うんだよ。あの人は子供が喜ぶ料理なんてつくれないから困ってたんだよ。」
「カマボコはピンク色だから女の子が喜ぶと思っていつもカマボコを用意してたんだよ。」
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その他にも両親が死んで叔母さんが私をひきとると申し出た時
おじいちゃんが「俺が育てる」と言って私を離さなかった事などを聞いた。
おじいちゃんはいつもしかめっ面で寡黙でちょっとこわい人だった。
でも両親がいなくなった私に寂しい思いをさせないように一生懸命だった。
参観日に死んだお父さんの服を着て来てくれたこともあった。(サイズ合ってない)
ハンバーグが食べたいと言ったときに挽き肉を丸めて焼いただけのものが出てきたこともあった。
口にも態度にも出さなかったけどおじいちゃんはすごく一生懸命に私を育ててくれた。
ピンク色のカマボコを見るとおじいちゃんを思って切なくなる。
もちろん今でもお仏壇にお供えする品に、必ずカマボコをそえています。
本当におじいちゃんありがとう!ずっと私の心の中に生きています。
本当に本当にありがとう。
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