戦争の悲しい話 沖縄

私は今、介護福祉士として働いているんだ。

妹が今度修学旅行で沖縄へ行くらしく、職場でその話をしていたら、利用者さんの1人が

『沖縄か…』

と暗く呟いたんだ。

その方は男性で、お年はもう80歳を超えているさ。

でもまだ元気でよく話すしよく食べるしいつも明るかったんだ。

だからそんなに暗くなったのが不思議で、何があったのか聞いてみた。

その利用者さん(以下山田さん)から聞いた話をします。

当時は戦争の真っ只中・・・。

山田さんは三人兄弟の長男として生まれたらしく、下に妹が2人居たそうだ。

小さい頃に父親が死んでしまい、女手一つで母親が育ててくれた。

しかし、生活は苦しかったらしい。

戦争も終わりに近付いた頃、沖縄の知覧で特攻隊の活動が始まった。

特攻は、爆弾を積んだ飛行機で敵の艦隊に突っ込むというものだ。

当時16歳だった山田さんは特攻隊に志願した。

死亡手当のようなものが支給されるらしく、それで母親や妹たちが幸せに暮らして行けるなら、自分が死のうと考えたのだそうだ。

16歳の少年が、だ…。

だが山田さんが特攻隊員として出撃する前に、戦争が終わってしまった。

家に帰ると、母親は山田さんを残して死んでしまっていたらしい。

命を懸けて守ろうとした人が死んでしまった。
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山田さんの悲しみは想像を絶する・・・。

特攻隊員として死んで逝った人は『軍神』と呼ばれるらしいが、生き残ってしまった山田さんは近所の人から

『軍神のなりそこない』『死ぬのが怖くて逃げ出して来た』

など、散々な言われようだったらしい・・・。

山田さんはそれに耐えられず、母親の後を追って死のうとした。

しかし、まだ幼い妹が2人残されている。

だから死ぬのは思い留まって妹を立派に育てようと決めたらしい。

そうすれば母親も浮かばれるだろうと・・・。

山田さんと2人の妹は、それから力を合わせて生きて行き、妹は2人とも嫁に行った。

その後、山田さんも結婚し現在は幸せに暮らしている。

私はこの話を聞いて、勤務中だというのに涙が止まらなかった。

家に帰ってから妹に話すと、妹も号泣していた。

今、私の妹がちょうど16歳だ。

妹を見ていて思うのだが、たった16歳の少年が、家族のために死ぬなどと考えられるだろうか。

毎日食べるものや寝る場所に困らず、いつ爆弾が落とされるかという不安にも晒されず…。

幸せだと思わなければならないと思う。
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戦時中の良い話
戦争を生き抜いた人は強いですね

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