血の繋がりを超えた母の愛「もっと頑張るから」の言葉に秘められた想い
小学校3年生の頃、僕に新しい母、「かあちゃん」ができた。幼い時に実の母を亡くし、さらに中学1年の時に父を事故で失った僕にとって、血の繋がりはないけれど、かあちゃんは本当にかけがえのない存在だった。
父の死後、裕福だった生活は一変し、僕たちは古びたアパートに移り住んだ。それでも、かあちゃんはいつも「もっと頑張るからね」と笑顔を見せて、昼夜働き続けた。帰宅するたび、疲れきっているはずのかあちゃんが、僕のために料理を作り、「お腹空いたでしょ」と優しく微笑む姿を見て、僕は胸がいっぱいになった。
感動する話|不器用だった僕の感謝を伝えられなかった後悔
そんな生活の中、僕は学校で「貧乏」とからかわれたことで、かあちゃんに怒りをぶつけてしまった。「お前がちゃんと働かないから」と、無神経な言葉を口にしてしまった僕に対し、かあちゃんは悲しそうな顔をしながらも、「ごめんね、かあちゃんもっと頑張るから」とつぶやいた。
それからというもの、かあちゃんは朝から晩まで働き詰めとなり、家での時間が減っていった。僕はその頃、心の不満をぶつけるように非行に走り、何度もかあちゃんと一緒に学校や警察に呼び出された。それでも、かあちゃんは誰よりも低姿勢で謝り続け、「ごめんね、もっと頑張るから」と僕に言い続けた。
かあちゃんの献身には感謝していた。でも素直になれずに、わざと反抗してばかりの自分が今も悔やまれる。かあちゃんが僕のために体を張っていると知りながらも、その気持ちをどうしても素直に受け取れなかった。
泣きたい話|倒れたかあちゃんが教えてくれたこと
僕が中学3年に上がる頃、かあちゃんはついに過労で倒れてしまった。医者から「働きすぎです」と言われたその姿を見て、僕は初めて、自分がどれほどかあちゃんを苦しめてきたのかを痛感した。そして、「僕が中学を卒業したら働くから、無理しないでいいよ」と伝えた瞬間、かあちゃんは僕の顔をビンタしたんだ。びっくりした僕を見つめながら、かあちゃんは「働かなくていい、勉強しなさい」と言い、再び「もっと頑張るから」と笑顔を見せた。
涙が止まらなかった。そんなかあちゃんの姿を見て、心の底から感謝が湧き上がり、僕は勉強に打ち込んだ。そして公立の進学校に進むことができ、かあちゃんも喜んでくれた。
悲しい話|かあちゃんの最後の「ありがとう」
高校生になると、僕はアルバイトをして、初めて稼いだお金でかあちゃんにエプロンをプレゼントした。かあちゃんは涙を浮かべて、「ありがとう、もっと頑張るね」と微笑んでくれた。その後、僕は無事に大学を卒業し、就職が決まった。やっと恩返しができると思った矢先、かあちゃんは病気で倒れ、末期のがんだと告げられた。
医者は「彼女はかなり我慢していたはずです。もっと早く来てくれていれば」と言った。かあちゃんは苦しい体を押して僕を支え続けてくれていた。医者の言葉に、僕は涙が止まらず、年甲斐もなく泣きじゃくった。
かあちゃんは僕が仕事から帰ってくるたびに「ありがとう」と言い続け、最後の瞬間にも「今までありがとう」と僕に伝え、息を引き取った。僕がずっと伝えたかった言葉を、彼女は先に口にしてしまったんだ。
愛情に支えられて|今も忘れないかあちゃんの言葉
かあちゃんは僕にとって「最高の母親」だった。血が繋がっていなくても、こんなにも愛情深く、ただ僕のために生きてくれた。だから僕は、今も後悔を抱えながら、かあちゃんのことを思い出すたびに「ありがとう」とつぶやく。
「親孝行しておけばよかった」と今でも後悔している。皆さんには、ぜひ大切な人への感謝の気持ちを、今のうちに伝えてほしい。