この記憶は今でも忘れてはいけません。本当に怖かった話です。
私は岩手の宮古市に住んでいて
地震がなければ高校1年生でした。
今回の地震で両親と兄そして彼氏を亡くしました。
2番目の兄はまだ行方不明です。
私は津波が来たときは高台にいました。
目の前で思い出の場所がどんどん崩れて行きました。
その時の映像がすさまじい音が目、
耳にこびりついて離れません。
1週間近くは眠れずに1人で起きてました。
怖くて怖くて……
避難所の犠牲者の名簿に両親と知り合いの
名前が刻まれていて今でも受け入れられてません。
兄は近くの避難所にいる友達の
お母さんが犠牲者の名簿から見つけてくれました。
彼氏は8歳年上ですごく優しくて何度も
結婚しようって言ってくれていたとてもいい人でした。
3月28日に初めて会った彼氏のお母さんが
私に亡くなったと教えてくれました。
彼氏の遺体が見つかってからずっと
私を探しつずけてくれいたそうです。
彼氏の遺体は決して綺麗なものではありませんでした。
至る所に血痕がありました。
そんな私に彼氏のケータイをくれました。
「ごめんね。
俺はもうダメかもしれない。
もし俺がこの世から消えても
綾芽は一人で歩けるよ。
俺は綾芽に逢えて幸せだった。
ずっと愛してるけど
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他の奴と結婚して
俺の分も幸せになってください」
こんなメールが保存されていました。
今でも涙が止まりません。
せめて、2番目の兄が何処かで生きていてくれれば……
普段、恥ずかしくて言えなかったけど
この家族に生まれてきてよかった。
お父さんへ
こないだケンカしたっきり
もう謝れなくなっちゃったね。
ごめんね。
お母さんへ
受験のことでたくさんケンカしちゃったけど、
せめて入学式で新しい制服姿を見てほしかったな。
お母さんの料理がまた食べたいな。
お兄ちゃんへ
お兄ちゃんとの恋バナ楽しかったな。
もっと言いたいことたくさんあったのに…
勉強もたくさん教えてくれてありがと、
自慢のおにいちゃんだよ。
短い間いっぱいケンカして
泣いて
笑って
辛いことも
楽しいことも
全て分け合って
生きていれたことに
今さらだけどキセキを感じました。
これから何度も泣くことがあるかもしれない。
何度も挫けることがあるかもしれない。
精神状態も不安定で
お医者さんから睡眠薬を貰って
ようやく眠れるようになりました。
ご飯はたくさんもらえるけど体が
受け付けてくれずに吐いてしまいます。
だけど
私は家族の分、
彼氏の分、
友達の分、
精一杯生きます。
だから、1歩踏み出す力をください。
この想いを誰かに聞いてほしかったんです。
お願いします。
追伸
想い出を探しに家があった場所に行ってみたら兄がいました。
無駄だと思いながらもきてみたそうです。
兄も彼女や大事な友達をたくさん失いました。
今は辛い想しかないけど
地震以来初めて笑顔になれました
これからは私の亡くなった
幼なじみのご両親と一緒に暮らします。
生きたくても
絶命した方のために
せめてこれをみてくださった方だけでも
命を無駄にしないでほしいです。
本当に本当に大切にして下さい。
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