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おもいっきり泣ける話




家族

母と祖母へ

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私が四歳の時、両親が離婚した。
母と私と弟は、母方の祖父母と一緒に暮らすことになった。
引っ越すことになったけれど、当時幼稚園でいじめられていた私は、
(もちろん離婚の意味なんて理解していなかったけれど)
別の幼稚園に通えるということが嬉しくて仕方なかった。

幼稚園では友達もたくさん出来た。みんな小学校も同じで楽しかった。
中学になると、隣の小学校の子達と一緒になり、人数は倍になった。
けれど、元々ちょっと変わり者だった私は、中学から新しく同級生に
なった子達とあまり反りが合わなかった。
更には、中学の強烈な「先輩・後輩」の関係に馴染めず、ついには
中学一年生の二学期から学校に行けなくなってしまった。

当時は、ようやく「不登校」「登校拒否」という言葉が出来たばかり。
しかも地元はかなりの田舎だったため、ずっと家に引きこもっていた。
叔父さんがくれたパソコンを相手に、一日中ほとんど動くことのない生活。

その時の私に対し、祖母はいつも厳しかった。
責任感が強く、良い意味でも悪い意味でも世間との付き合いを大事にする。
そんな彼女は、ただでさえ片親の私が学校に行かなくなる、という事実が、
私の未来を永遠に閉ざしてしまうように思われたのだろう。
「先生たちも来てくれて申し訳ない」「近所の人になんて思われるか」
母にも、「引きずってでも学校に連れて行け」といつも言っていた。

ある日、仕事をしていた母が昼休みで家に帰ってきていた時のこと。
発端はなんだったか忘れたが、祖母は泣いていた私に、
「お前は泣けばいいと思ってる」と言った。私は更に激しく泣いてしまった。

するとその時、母が私を抱きしめた。そして祖母に向かってこう言った。
「この子だって泣きたくて泣いてるわけじゃない。この子が一番辛いのよ。
だからそんな風に言わないで!」
母も泣いていた。
その時から、私の中で何かが吹っ切れた。

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私は、二年生に進級した時をきっかけに、学校に通えるようになった。
中学の残りの二年間はとても楽しく過ごすことが出来た。友人にも恵まれた。
高校からは地元を離れたが、そこでも多くの友を得た。
そして今、なんとか社会人として自らの生計を立てることができている。
心から信頼できる恋人もできた。

中学を卒業してから思ったことがある。
祖母はいつでも私のことを、私と弟のことを考えてくれていたのだ。
早くに亡くなってしまった祖父の分まで。
だから祖母は今でも口うるさいし、二十歳を過ぎた私たち姉弟に向かって
「早く風呂に入れ」「早く寝ろ」「ちゃんと食べてるか」などと言ってくれる。
うるさいと思う反面、とてもありがたいことだとも思う。

母と祖母は、今はあの家に二人きり。飼っている猫が、私たち姉弟の代わりだ。

母よ、いつでも私たちを愛してくれたあなたを尊敬しています。
祖母よ、嬉しいことを素直に嬉しいといえない不器用なあなただけど、大好きです。

長生きしてほしい。いつまでも元気でいてほしい。今、それを切に願っています。

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