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わたしの過去の話しおばあちゃんありがとう

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わたしの過去の話しをさせていただきます。少しだけ泣けますがお付き合い頂ければと思います。

わたしは幼いときに両親が離婚して 父方の祖父母の家にひきとられ育てられました。
田舎だったので 都会で育ったわたしとは 周りの話し方から 着る服 はく靴 全てが違いました。
祖母が わたしが小学校にあがる時に
みんなが友達になってくれるように 近所の同じ年の子供達に
色鉛筆を買って
初めて学校に行く朝
一緒に集合場所(集団登校のため)に来て
一人一人に

「○○の事よろしくね、仲良くしてあげてねお願いね」
と頭を下げて色鉛筆を渡してくれました。
無事学校から帰宅して 家で祖母と
学校楽しかったーなんて話しをしていると
見知らぬおばさんが訪ねて来ました。
祖母が訪ねると 今朝 色鉛筆を配った子達のお母さんとの事。

「これ お宅がうちの子に渡したんでしょ?迷惑なんですよ こんな事される理由もないし いりませんから」

こんな内容だったと思います。
祖母は一生懸命に説明していましたが 理解される事はなく その方は 色鉛筆を置いて帰って行きました。

わたしは 怖い人だな…と隠れ気味で見ていました。
祖母はそれに気づいていなかったのでしょう。
肩を落として声をこらして泣いていました。

走っていってさ。
「おばあちゃん大丈夫?」と
背中をさすりながらのぞきこむと祖母は

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「大丈夫だよ、おまえが可哀想で心配で…友達出来るか いじめられないか心配で 涙が勝手に出てきただけだから 心配しなくていいんだよ」

とても悲しくなりました。

祖母は毎日

「いじめられたりしてないかい?友達は出来たかい?」と

わたしの心配ばかりしていました。

「うん いじめられてなんかないよ!友達たくさん出来たよ!」

といつも答えていました。

わたしは毎日いじめられていました。

「親がいないから悪い子だって かーちゃんがいってたぞ!親なしー!かーちゃんが口聞くなってさ 悪い子がうつるから!あっちいけ!」

誰にも言えませんでした。

祖母は 毎日心配して わたしを見ては泣いていたから…。

とても言えませんでした。

学校のいじめ、両親に会えないつらさ、祖母のやさしさに、毎晩布団の中で声をころして泣きました。

なんで生まれて来たんだろう。

なんでわたしだけこんなにつらい思いをするんだろう…。

なんで…なんで…。

そんなある日 学校から帰ると祖母が泣きながらわたしの事を抱きしめて来ました。

「ごめんね…ごめんね…」

なんだかわたしも悲しくて一緒に泣きました。

どうやら 近所の人が わたしが毎日いじめられている事を 祖母に話したらしいのです。

あの時の祖母のつらさは

わたしよりもはるかにつらいものだったのでしょうね…。

わたしが成人して 祖母はすっかり年老いてしまい ボケが始まり 毎日同じことばかり聞くようになりました。

祖母とは離れて暮らしていたので 毎日電話して 3日おきに手紙も書いていました。

あれは祖母が他界する少し前の事。
いつものように電話で話していると
祖母が
「○○ちゃんは わたしが産んだ子だったかなぁ?」

「うん、そうだよ、わたしは おばあちゃんの子だよ…。」

「そうだったねぇ。わたしが産んだ子だ」

実の子のように思いつづけて育ててくれていた祖母。

最後は本当に祖母の子になれた事、今でも忘れません。

あなたの子供で本当に幸せでした。
おばあちゃん たくさん愛して育ててくれてほんとうにありがとうございました。
本当にありがとうね・・・・・・。
ありがとう。

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