親父がガンなのが発覚した。それも手遅れで、手術しても意味がなく、
状態が進みすぎてて、強い抗癌剤も使えなかった。
嫁さんが、病気発覚から全部仕切ってくれた。
宣告されて、俺も親父もお袋もボーゼンとしている中、しっかりとあれこれ
やってくれたのは嫁さんだった。
俺には「あんたは見送る時間があるだけ、幸せと思え。あんたがしっかりせんでどうする」と
何度も激を飛ばしてくれたのに、急に目の前にわいて出た「代替わり」と「親父の死」に
正直何をどうしていいか分からなかった。
嫁さんの父親は、嫁さんが生後3ヶ月の時に貰い事故で亡くなっていた。
毎日病院に来て背中さすったり、体のあちこちを揉んで世話を焼いてくれる
嫁さんを見て、病院の人に「お嬢さんですか?」と聞かれ、
嫁さんも親父も
笑顔で「はい」と言っていた。
親父の意識がない時、ずっと手を握って話し掛けてたのも嫁さんだった。
俺はオロオロするだけ、お袋はただボーゼンとするだけだった。
親父がとうとう逝っちまった時、泣き崩れる母親と、再びオロオロボーゼンとしている
俺に激を飛ばしつつ、全ての仕切りをやってくれたのも嫁さんだった。
通夜の時、線香の番をするからちょっと息を抜いておいで、という嫁さんの
言葉に甘えて外に出て、ちょっとして戻ったら嫁さんは涙をボロボロこぼしながら、
親父の棺に話し掛けていた。
でも、告別式のときに喪服をピシッと着付けてしゃんと嫁さんは立っていた。
お袋は着物の着付けすらできる状態じゃなくて、嫁さんが着付けていた。
俺とお袋はボロボロ泣くだけだったorz
告別式などが一段落して、親戚皆に「お嫁さんを大事にしなさいよ」と言われた。
仕事仲間にも同じ事を言われた。
初七日が終った時、墓の前で嫁さんが「もっと色々してあげられることあったはずなのに」と
ポソっとつぶやいた。
それを聞いて、俺は親父に何をしてあげられたんだろうと、考え込んでしまった。
息子として情けない限りだった。
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それまで別居だったが、嫁さんが言い出してくれて同居した。
適度にお袋を気遣いつつ、親子のように喧嘩もしたりして、逆に俺が疎外感を
感じるくらい、お袋と仲良くやっている。
この前は俺をおいて、二人で旅行にも行ったorz
「女同士、話す事がたくさんあるんだから」といわれて、何も言えなかったorz
1年経った今も嫁さんは、月命日に親父の墓に行って、何かを話してくる。
それを知ったのは昨日だった(恥)
毎日仏壇の前で朝晩、「お父さんおはよ~今日もいい天気だね」なんて
話しているのは知ってた。
夕飯の時は、必ず何か一品を親父の前に供えている。
死ぬまで嫁さんを大事にしようと、改めて思った。
感謝してもしきれないと、心の底から思ってる。
そして、同居を申し出てくれた嫁さんに甘えず、嫁さんの強さに甘えず、
俺が夫として、今年の秋からは父親として、もっともっとしっかりしなきゃ
いけないと思った。
長文、おまけに湿っぽい話ですまん。
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