13年間の絆|愛犬サーブとの別れ
私が小学校5年生のとき、家族にラブラドールが加わりました。母が名付けたその子の名前は「サーブ」。飽き性だった私は、飼い始めた当初こそ毎日散歩に付き合っていましたが、やがて父に任せるようになり、私の担当はエサやりだけとなっていました。
サーブと過ごす日常が当たり前になり、私はどんどん部活や友達との時間に夢中になりました。中学・高校では部活に没頭し、サーブと向き合う時間はほとんどありませんでした。たまにボールを投げて遊ぶ程度で、彼との時間が私にとってどれほど貴重なものかも考えずに過ごしていたのです。
新しい生活と疎遠になる日々|サーブの老い
短大進学で県外に出た私は、実家からも遠ざかり、サーブに会う機会は年に数回だけに減りました。それでも実家に帰るたび、サーブはいつも尻尾をブンブン振り回し、まるで私が帰ってくるのを心待ちにしていたかのように喜んでくれました。
そんな日々が続き、私は社会人になり地元を離れて働くようになりました。新しい生活に忙殺され、実家に帰る機会もますます少なくなりました。サーブが歳を重ねていくことを意識することもなく、私の中の彼はいつまでも元気で走り回る姿のままでした。
悲しい知らせ|愛犬サーブの体調の変化
そんなある日、母から電話がかかってきました。母の声はどこか沈んでいて、「サーブが弱ってきて、散歩にも行かなくなった」と告げられました。さらに、「もう長くないかもしれない」という言葉が続きました。
それでも、まだ心のどこかで実感が湧かず、「お正月には帰るから」と伝えただけでした。年末が近づき、私はようやく実家に帰ることができました。玄関に入ると、そこで目にしたのは、寝たきりのサーブの姿でした。いつもなら私を見て飛び跳ねて尻尾を振り回してくれるはずの彼が、ただ横たわったまま、かろうじて尻尾をパタパタと動かすだけでした。
泣ける話|最期の力を振り絞って
母によると、数日前から急に立てなくなったとのことでした。私はその数日間、できる限りサーブのそばに寄り添い、毎日たくさん撫で、話しかけ続けました。弱々しいながらも、サーブは一生懸命に尻尾を振り返してくれて、その姿が愛おしくてたまりませんでした。
そして、お正月が過ぎ、再び家を離れる日が来ました。「サーブ、帰るね」と声をかけ、頭を撫でて玄関を出ようとしたその時、彼がよろよろと立ち上がり、精一杯の力で尻尾を振ってくれたのです。思わず私は抱きしめ、「ありがとう」と心の中で何度も伝えました。
その後、駅まで父に送ってもらい、バスを待っていると母から電話がかかってきました。電話の向こうで、母は涙声で「サーブが死んだの」と話してくれました。私が家を出た直後、サーブは力尽きたのです。
母は、「あーちゃんが帰ってくるのを待ってたんだね」と泣きながら言いました。まさに、私に最後のお別れをしてくれたかのようでした。その言葉を聞いた瞬間、私は涙が止まらなくなりました。
感動する話|愛犬が教えてくれたこと
サーブは最後の最後まで、13年間ずっと私を見守り続けてくれました。思い返せば、もっと愛情を注いであげることもできたかもしれません。忙しい毎日の中で、私が彼の存在を疎かにしていた時期もありましたが、それでも彼は私を見守り、最期には私を待って旅立ってくれたのです。
彼がいなくなってから、家は少しずつ変わりましたが、サーブとの思い出は消えることはありません。あの時抱きしめたあたたかい毛の感触、元気いっぱいに尻尾を振っていた姿、そして最後の別れの日に見せてくれた姿は、今も心の中で生き続けています。
もうすぐサーブの命日です。彼が大好きだったおやつを買って、彼の写真の前にそっと供えるつもりです。ありがとう、サーブ。あなたが私にくれた13年間の愛を、ずっと忘れません。